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最初は鉄筋コンクリートを主体とした総合建設業のいわゆるゼネコンで現場監督をしていました。当時は高層ビルなどの建築にあこがれて「カッコイイナー」という単純な思いでこの業界に入りましたが、その後で店舗設計施工の会社に入って設計業務に関わり、お客様の要望を絵や形にする事の難しさと楽しさを覚えました。
その後、色んな建築に携わりたいとの強い希望から木造系の住宅メーカーに転職し、ここでもお施主様と直接面談して希望の間取りを図面にする仕事を徹底的に叩き込まれました。ただ、ここで常に疑問に感じていた事は、お客様の希望と会社のマニュアルどうりの仕様の違いで、どうしても満足いく住宅にならなかった事です。この頃から独立願望が漠然と出てきましたが、いきなり自分だけで住宅会社が運営できるのだろうかと不安もありました。
そこでとりあえず地場の工務店に入社して、小さいながらもかゆい所に手の届く経営というものを覚えようと考えました。数年修行し、やっと自分だけでやっていけそうな気がしてきた頃、嫁さんも賛成してくれました。実は嫁さんも一級建築士で、先に独立して自分で事務所を構え、設計業務や申請業務をすでにしていました。
独立したのは平成8年の6月で早いもので14年が過ぎました。決して平坦な道では無かったですが、今まで建てさせていただいたお客様から、「建ててよかった」「息子の家も頼むね」と言われるととにかく嬉しく、又いい家を建てようと思います。 |
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中学の時に住宅の間取りを描いた事が、建築に興味を持ったきっかけでした。自分でもびっくりするぐらいスラスラと間取りが描け、先生に褒められた事で「これって天職かも!」と思ったんです。当時の女の子らしくなかったかもしれませんが、設計士になる事で頭が一杯で、迷わず岐阜高専に進学しました。普通高校で大学の建築科という選択肢もありましたが、当時地元の大学には建築科が無く、普通に高専を受験していました。
社会人になってから人材派遣会社の正社員になり、建築とは全く関係ない機械図面も描きました。ある大手メーカーではショックアブソーバーの図面を手で描いていました。この頃、ニ級建築士を取りましたが、一級建築士の受験資格にはまだ3年の実務経験が必要でしたので、なんとか建築関係の仕事がしたくてアルバイトで設計事務所や住宅会社での実務をしていました。
結局一級建築士に合格したのは29歳の時でしたが、私の周りには一級建築士を取得した女性はほとんどいませんでした。一級建築士取得後にハウスメーカーへ就職し、そこで主人と出会いました。会ってすぐに意気投合し結婚したわけですが、ここで一級建築士夫婦が出来たわけです。結婚を機に独立しようと思って、主人より先に事務所を開きました。
とにかく鍛えられたのは、「プラン」をゼロから作るという事です。住宅会社にも建築士の免許を持った人はたくさんいますが、お客様の要望をまとめて、柱の位置や耐力壁の事まで考えて間取りを練っていくという作業をこなせる人は少ないと思います。この時期に徹底的にこのスキルを身につけたおかげで、現在の間取りプランの打ち合わせがスムーズに行くのだと思います。 |
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私たちの家づくりに対するこだわりをよく聞かれるのですが、結局は「自分の住みたい家を造る」という一言に尽きると思います。ただ住みたい家は個々人で千差万別なので、自分の趣味を押し付ける気はありません。和式であれ洋式であれ、お施主様の要望を理想に近いものとして、最終的に形にするお手伝いが得意だと思うのです。
そのためのこだわりがひとつあるのですが、「徹底的に話し合う」という姿勢です。建築をお考えの方に出会っても決して急かさず、私たちの少しスパイスの効いた提案とお施主様の希望が完全にフィットするまで話し合う事を信念にしています。
まずは奥様の洋服のご趣味や家具のご趣味を見せて頂き、その方に合った生活スタイルをご提案する事から始めていますが、どんなお店でどんな食べ物を選ばれるか?とか、どのようなご趣味なのか?など、建築に関係無いようなお話を延々としてから間取りプランを始めます。何故ならば、洋服や家具のご趣味は必ず生活様式に深く関わってくるからです。
お客様がA案とB案を迷われている時でも、やはり当たり前かもしれませんがこちらの主観は入れずにあくまでもお客様が納得されるまで待つ事にしています。 |
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