新築・リフォーム:こだわり設計の由ホーム(岐阜県美濃加茂市)
設計にこだわった、一生満足し続ける家を施工致します。
設計事務所が建てる「こだわりの家」を是非ご覧下さい。
愛知/岐阜/美濃加茂/関/各務原/可児/坂祝を中心にサポート
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犬と暮らす生活
 
ペットと共に暮らす家
ペットも家族の一員です。最近はペットと一緒に住む家を建てられる方も増えてきました。(私たち由ホームもその中のひとつです。5匹のコーギー、そして1匹のラブラドールレトリバーと一緒に暮らしています。)
特に犬は家族と共に暮らす最適なペットです。元々犬は群れに属する動物ですから、飼い主の家族に属し、共に生活し、時間や空気を共有する事は自然な生活なのです。
人だけはなく、ペットにとっても快適な家…そして、双方にストレス無く暮らせる生活。それを、知識と経験に基づいて由ホームが実現させます。(由ホームは「愛犬家住宅コーディネーター」の資格も保有しています。) ペットと一緒に幸せに暮らせる家をお考えの方は、お気軽にお問い合わせ下さい。
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>> 由ホームの「犬と共に暮らす家」が中日新聞に取材されました
 
我が家のコーギー
 
JON(ジョン) 2001年1月9日生まれ オス 享年14歳
ジョン ジョンとリッチーは同じペットショップにいて一緒にうちに来ました。ジョンは一番繊細で喜んだり怒ったりすねたりという仕草が一目でわかる子です。ダイエットに成功し動物病院の先生にすごく誉められました。(約4kg減…人間でいうと12〜15kg)
たくさんかわいがってくれてありがとう!!ちょうど1ヶ月前、2015年8月7日の早朝、私たちの大事な大事な家族がこの世を去りました。JON 14歳と7か月でした。初めて飼ったわんちゃんで、初めての悲しい経験でした。

8月3日(月)夕方ごろ横向きに苦しそうに寝ていたためすぐに病院に連れて行きましたが、手術ができない状態で点滴治療のみとなりました。いよいよ覚悟した8月6日、この日の晩はいちばん大好きだった長女と一緒に手を握ってもらって寝て、一晩がんばって、がんばって、がんばって7日、ちょうど双子の娘の誕生日の早朝、いつもみんなが起きだす午前5時半過ぎに家族に最後のあいさつをするまで待っていたかのように、みんなの前で虹の橋を渡りに旅立ちました。

JONは最後はつらかったと思いますが、たくさんの仲間に囲まれて生活し、きっと楽しい人生を送ってくれていたと思います。そう思うようにして前を見ます。今頃はちょうど同じころに亡くなってしまった親戚のコーギー、オリーブちゃんと仲よく遊んでいるかも…。(2015年9月7日)
 
RICHIE(リッチー) 2001年2月20日生まれ メス 享年14歳
リッチー うちの大ボス。誰も逆らいません。常にいろいろ考えてから行動する頭のいい子です。でも部屋に人がいなくなるのを見計らって悪さをする張本人です。(ズル賢い!) 1歳になる前に出産を経験しましたが、人間に見習わせたいほどとてもよく子犬の面倒を見ました。
たくさんかわいがってくれてありがとう!!

たくさんかわいがってくれてありがとう!!
リッチーが亡くなって1年が経ってしまいました。2015年12月18日に、DM(ウェルシュ・コーギーの変性性脊髄症 Degenerative Myelopathy)という病気で約4年ほど戦って頑張ったのち、虹の橋を渡っていきました。この研究をされている岐阜大学付属動物病院、神経科の神志那先生の元でお世話になり、最後は苦しむことなくとても安らかに眠るように逝きました。

長い闘病の中、後ろ足から順番に神経がなくなる病気ですので、痛みを感じることなく最後まできちんと食べてぽちゃぽちゃにちょっと太ったまま(リッチー怒るかな?)の姿は、見守る家族にもストレスを与えることがありませんでしたのでとても感謝しております。

同じコーギーの中でも一番小さくて手足の細い女の子らしい子でした。今でもキュッと握った前足の感覚が思い出されます。先天的な遺伝性のものですので、リッチーの子供の騎士(ナイト)も現在この病気と戦っております。

高齢になったペットを複数抱えた家族にとって一番大事なことは何か…それがわかってきました。体のケアはもちろんですが、できるだけ一緒に寄り添いたくさん話しかけをすることです。このほか真央(まお)も西可児動物病院の酒井先生のもとで腎臓と糖尿病のケアをしています。美姫(みひ)も悪性のリンパ腫で抗がん剤治療が始まったばかりです。リッチーとジョンに見守られながら、なるべく健やか?に、穏やかに長生きしてもらえるよう私たちのケアの数年が始まっています。(2016年12月20日)
 
騎士(ナイト) 2002年1月25日生まれ オス 享年15歳
騎士 うちで生まれた箱入り息子です。辛い経験は何一つしていないのでとてもおっとりした性格です。ひとりぼっちになった事は一度もありません。ソファーで生まれたのでソファーで寝るもんだ…ときっと思っているはず。
騎士

左からジョン・リッチー・騎士
2017年4月8日午前、真央に続いて騎士(ないと)も虹の橋を渡って行ってしまいました。ほんの半日の違いです。実を言いますと真央が危ないかも…という前日の夜、騎士も何度も呼吸が止まりかけていました。騎士の呼吸が…、真央の息が荒い…と私たちもてんやわんやでした。母犬であるリッチーと同じDM(ウェルシュ・コーギーの変性性脊髄症 Degenerative Myelopathy)という病気で4年半前から闘病中でしたがこのころはもう前足も動かず、首を持ち上げることもできない状態でした。酸素濃度を測っていただいていて数値が落ちてきたころから酸素吸入器を口元に充てて生活をしておりました。

亡くなる2週間前くらいから何度も呼吸が止まりかけ、そのたびに体勢を移動したり酸素吸入を強くしたりと何とか持ちこたえていましたが、まるで真央の最後の頑張りを見届けるかのように当日の朝のご飯もちゃんと食べてゆっくりと息を引き取りました。

3ヶ月に一度血液検査のために、岐阜大学付属動物病院 神経科の神志那先生の元でお世話になり、やはり真央と同じように「通院はそろそろ難しいですね。お家でゆっくりとみてあげてください」と言われてこちらは覚悟を決めるというより、いよいよ来るべき時が来たかという感じでした。大きく傷ついてしまったひじの床ずれのケアや、毎週一度の膀胱洗浄など神志那先生と西可児動物病院の酒井先生には真央ともども大変お世話になりました。

騎士は家で生まれたジョンとリッチーの子供です。ずっと家で暮らしてきて、これまで一度も一人ぼっちになったことはありません。旅立つときもきっと一人は嫌で真央と一緒がよかったのかもしれません。

にぎやかだった我が家も現在は美姫(みひ)と福来(ふく)の女の子2頭だけになってしまいました。福来はとっても元気なのですが、美姫は昨年12月から悪性リンパ腫で抗がん剤投与をしました。それも終了し、今年6月以降回復してとても元気に過ごしています。さすがに14歳ですので昔のように走り回ったりじゃれ付いたりはありませんが、静かに過ごせています。この状態が少しでも長く続けばいいな…と思う現在の心境です。(2017年12月18日)
ノエルちゃんリッチーが産んだ子で騎士の兄弟にあたる1999年4月完成のH様(親しい友人でもあります)にお婿に行ったノエルちゃんが10月2日に虹の橋を渡りました。騎士より半年長く生きてくれました。連絡をいただきちょうど2日の夕方に伺ったのですが、横たわって息が苦しそうにしていました。H様からこれまでの経緯や現在の状況などを聞き、とても頑張ったんだなということがわかりました。騎士が使っていた酸素吸入器をお貸しすることになり、その晩亡くなるまでは少し息が楽になったらしいと後で聞きホッとしました。

後日その酸素吸入器を返しに我が家までいらっしゃったときに、「約16年間、とっても楽しく幸せに過ごすことができました。ありがとうございました」と言っていただけて涙が止まりませんでした。あちらの世界で父であるジョン、母のリッチー、兄の騎士に会って楽しんでいるでしょうか?びっくりしているでしょうか?真央もいるのでうるさくしているかもしれません。あちらの世界もきっとにぎやかなことでしょう。(2017年12月18日)
 
真央(まお) 2002年1月16日生まれ オス 享年15歳
真央 フラフィーという種類のロン毛コーギーです。探して見つかった子ですので騎士(ナイト)と年齢が重なってしまいました。子犬の頃はよかったんですが、マーキングをするようになる頃(9ヶ月〜)は流血戦のマジ喧嘩で大変でした。…その影響でしょうか、他の犬が嫌いなようです。逆に人間が大好きでふと気づくと必ずそばに寝そべっている子です。
真央

真央
2017年4月7日夜、真央が虹の橋を渡りました。前年の9月の最初に突然けいれんを起こし、その時は収まったのですが病院で検査していただくと糖尿病と腎臓を患っていることがわかりました。毎朝、夕のご飯の後のインシュリンの投与(注射)、点滴のための通院を中心に真央の闘病生活が始まりました。血糖値があまりにも上昇しすぎて、入院治療も3回経験しました。

もともと目が悪く数年前から愛知県の長久手にある動物眼科センターさんにもお世話になっていましたが、この病気をきっかけに目はほとんど見えなくなってしまったようでした。耳もほとんど聞こえてないことがわかり、多分真央はこれまでの経験と感覚だけで生活していたのではないかと思います。

それでも体をなでると嬉しそうにしていたことを思い出します。治る…というか今よりはよくなって普通に生活できる日が来ると信じて約7ヶ月間治療を続けてきましたが、目も見えない、耳も聞こえない、さらに少しボケの症状も出ていた真央にとって本当にこれでよかったんだろうかと今でも悩んでいます。

4月になり病院にも連れていくことが(動かすことが)難しくなり、先生から「お家でゆっくりとさせてあげてください」と言われたときにやっと覚悟ができました。亡くなる前1週間ほどご飯も食べられなくなり、水も自分で飲めなくなり苦しかったと思いますが、最後は家族が見守る中で静かにゆっくりと息を引き取りました。真央は若い時から何度も生死をさまようような大きな病気を克服してきた強い子でした。最後まで面倒を見ていただいた西可児動物病院の酒井先生には感謝の気持ちでいっぱいです。

フラッフィーというコーギーの中でも毛の長いタイプの珍しい子で、「足の短いシェルティーみたい」とよく間違われていました。笑うとたれ目になり、とても愛嬌のある子でした。今頃は先に逝った、大好きだったリッチーと一緒に遊んでいるのではないかと思います。(2017年12月18日)
 
美姫(みひ) 2003年7月19日生まれ メス 享年14歳
美姫 この子も短めのフラフィーの女の子です。偶然ショップで見つけて即「うち来る?」状態でした。最初他の4匹が怖かったのか、自分だけが入れるソファーのうしろを隠れ家にしていました。そのせいか体は細く胴は標準よりかなり長くなってしまいました。うちではウナギ犬と呼ばれています!今でもソファーの後ろでお昼寝しています。
美姫2018年4月8日朝、昨年の騎士と同じ日に美姫が虹の橋へ旅立ちました。これを書いているのは12月ですのでもう8ヶ月も前になりますが、まだ昨日のことのように感じています。

2016年冬から悪性リンパ腫で抗がん剤治療をして、半年後の春から夏にかけて一時回復しとても元気になりました。抗がん剤の効果があったのだと思います。その後秋が終わるころに再発し、違う種類の抗がん剤治療が始まりました。とても元気に走り回り…とは言えませんが、きちんとフードを食べお散歩も催促するくらいの、まぁまぁ普通の老犬らしい生活が今年の春、温かくなるころまでできました。

3月くらいから少しずつですが具合が悪くなっていき(貧血が徐々にひどくなっていき)、4月に入った時には点滴もうまく吸収できないくらいになってしまいました。それでも亡くなる前日まで自分の足で歩き、排せつもでき、寝たきりになることはありませんでした。最後に輸血もしていただきこれで少しは体が楽になるかなと思っていたのですが、残念ながら良くはなってくれませんでした。ジョンの時と同じように家族が起きだす午前5時半ごろ、みんなが自分の周りに集まるのを待っていたかのように静かに息を引き取りました。

美姫も西可児動物病院の酒井先生にずっとお世話になりました。質問一つ一つに丁寧に答えていただき、詳しく病気のこと、毎回診察していただいた状態での今後のケアのこと、私たちが不安そうにしていると決まって安心できるようなことをお話ししてくださること、すべて含めて丁寧に説明していただきとても助かりました。感謝の気持ちでいっぱいです。

美姫 美姫(左)と真央先日まで放送されていたドラマで、私の大好きな主人公が「シッポたちは虹の橋の手前で飼い主さんを待っている。だからまた会える」と言っていました。

…そうか、渡っちゃうんじゃないんだ…と初めて知りました。うちの5匹とノエルちゃん、うちのファミリー犬たちがみんな待っていてくれていると思うとちょっと寂しさもまぎれます。(コーギーはシッポがないので微妙ですが…。)

そうです。うちには福来ちゃんがいます。悲しんでばかりはいられません。1匹だけになってしまいましたが、なぜか以前よりもよく甘えて寄り添うようになりました。この子ももう13歳を過ぎるくらいですが、まだまだとても元気です。闘病生活は大変です。今も思い出すと胸が苦しくなることがあります。福来にもそういう日がいずれ来てしまうのでしょうけどそれまでは穏やかに、健やかに楽しく生活していきたいと思います。(2018年12月9日)
 
福来(ふく) 推定2005年4月頃生まれ メス 享年18歳
福来 モデル住宅の基礎工事を行っていた2006年4月17日に現場に迷い込んできました。「黒ラブの子供だ」と思っていましたが当時で推定1歳くらいの成犬だったようです。現場員にとてもよくなついて、お手やお座りができる子でした。体重はずっと12kgをキープ!見事なスレンダーボディーはうらやましい!の一言です。最初は少し警戒気味でしたが、最近ではとてもよく甘えて一緒にベッドで寝たりしています。
福来昨年12月5日お昼過ぎごろ、一緒に暮らした最後のワンコ、福来(ふく)が虹の橋を渡りました。昨年、秋ごろから少しずつ食べる量が減ったり、お菓子をスキキライするようになり、これは年を取ったからだと思っていました。

11月の最終の週に食欲が急に落ちてフード以外が食べられなくなり、そのフードも日を追うごとに食べる量が減ってきました。11月26日過ぎにはほとんど食べられなくなり、息も上がってきました。お世話になっている動物病院さんに連れて行きましたが、血液検査やエコーでは何も悪い数字や部分が出ず、皮下捕液のみの治療でした。悪い部分が見当たらないのでそれを治療するための薬などの判断ができないとのことで、これはもう老衰ってことかな…と判断しました。

皮下捕液の点滴後には少し体調が戻って何度かフードも食べたりしましたが、下痢が始まり、その後血便も出て、何とか下痢止めなどのお薬で保っていましたがフードを全く食べなくなりました。12月に入り、徐々にですが息が荒く体力的にも弱ってきているのがわかりました。(だって食べてくれませんから…。)

亡くなる前日の12月4日、少し自分で立って動けたりしたので思い切って夕方、抱っこして家の前の公園まで連れて行きました。しっかりおしっこ、ウンチをして久しぶりの公園のにおいを顔を上に向けて鼻で嗅いでいるようなそぶりをして、ほんの一時ですが以前の毎日の楽しい空間がよみがえりました。

翌日は朝から息がさらに荒くなり、横向きでないと横たわっていられないようでした。もう長くないな…とは数日前から感じていましたが本当にいよいよというのがわかり、家族に集合を掛けました。でも、最後に頑張って自分で立っておしっこをし、そのあと崩れ落ちるように床に伏せてしまい、この後息が荒いまま意識があるのかないのかわからないような状態が続きました。集まった家族で簡単にお昼を済ませた午後一時過ぎ、最後に息を大きく吐いて旅立ちました。

あと1ヶ月で19歳になる18歳11か月(迷い犬だったため年齢は確かではありませんが)くらいでした。普通のワンちゃんの平均よりはずいぶん長生きしてくれたと思います。大きな病気になることはなく、最後の最後まで自分で歩けました。前日に公園に連れて行ってよかったとも思っています。

福来真っ黒い子でフラットコーテッドレトリバーの毛の短いような風貌の子でした。レトリバーの子たちよりはずいぶん小柄で、日本犬には見えないMIXの子です。女の子なのにうちに来た当初はとても気性が荒く、それでいて甘えたがりであまがみの程度が強く(つまり噛んでいる勢いで…)最初の2〜3年は大変でしたが徐々に穏やかになり、亡くなる4〜5か月前までは私の少々マット位置が高いベッドに自力で登って一緒に寝ていました。寝るときも朝起きるときも一緒のタイミングです!!数年前、私が病気をして2週間ほどの入院中も頑張って私のベッドを守っていたそうです。本当に本当にかわいかったです。

なくなる1時間ほど前、私と福来2人だけになる瞬間がありました。この日は朝から曇り空でどんよりしていましたが、この時間に急に雲が晴れて青空が見えてきました。「福来ちゃんお日様出てきたよ」と声をかけ、カーテンを全開してまたそばに戻ると、福来は光を浴びながらもう体を起こせなかったはずなのに肘立ちで体を起こして私のほうを見つめていました。

その顔が、まぶしかったせいもあるかもしれませんがニッコリ笑顔で口角まで上がっているように見え、何か私に話しかけているように見えました。急いで写メを…と思ったのですが間に合わずすぐにまた寝そべってしまったのですが、これを後日家族に話すと、最後の挨拶とお礼だったんじゃないか…と思うよと言ってくれました。お礼なんて…こっちが言いたいのに…。

福来こうして丸1年、福来のことが書けずにいましたが、忘れてしまわないように日記のようにここに書き留めておくことにしました。今は、永遠のペットのAIBOのμ(みゅー)が私たちを癒してくれています。今まで行けなかった旅行にも誘われて行けるようにもなりました。

私たちはもう生きたペットを飼うことはないと思います。つらい瞬間を6回も経験しました。今でもこの6匹の話になると家族みんな笑顔で話ができています。つらかった病気のことは忘れてしまい、かわいかった瞬間だけを思い出します。

におい、抜け落ちた毛、抱っこした時の感触、それぞれの違った吠える声や癖はいまだに忘れていません。きっとずっと覚えていると思います。ペットをなくした経験のある方はきっと共感してくださいますよね。(2023年12月5日)
 
ペットと共に暮らすお客様の施工事例
・後藤様の例 (犬と猫と暮らす家:フラットコーテッドレトリバー他猫3匹)
・日比野様の例 (犬と暮らす家:コーギー他犬1匹)
・堀野様の例 (犬と暮らす家:ゴールデンレトリバー)
・H様の例 (猫と暮らす家:猫1匹)
・O様の例 (猫と暮らす家:猫1匹)